2013年10月04日

17年の語るもの

先ほど、悲しいニュースが飛び込んで来た。今朝、息子の同級生が亡くなったのだ。たった17年の命だった。悔しい。12歳の時に病気になって、入退院を繰り返して、車椅子での通学だった。

12年前、小学校1年生の時に、息子と同級生だった。当時、英語のできない息子を歯痒く思ったのか、息子はペンケースを隠されたり、彼のたわいないイタズラに泣かされた。当時、英語の話せなかった私は、それを訴えることすらできずに、細面のお母さんを横目で見ていた。あれは彼流の何かのメッセージだったのだろうか。たった17年しか生きられなかった彼の直向きな自己主張にさえ思えてくる。
今、ここにある星空も、月も、花も、もう何も彼の目には映らない。もっと生きたかったよね、うちの息子と同じように、いろんな夢があったよね、まだまだやりたいこと、いっぱいあったよね。悔しかったよね。お母さんもさぞ無念だっただろう。親より先に逝く不幸はないというが、同じ母親として、代わってやりたいと思ったと思う。

私は自分の贅沢な悩みに愕然としている。息子はここまで大きな病気もなく五体満足で、将来の夢も持っている。それなのに、私は日々不満に満ちている。あれが足りない、これが不服だと。志半ばで逝かなければいけなかった彼の悔しさを思うと、自分の不満はなんと贅沢なものなのか。

車椅子で笑っていた彼はもういない。いつの間にか、生に対する謙虚さを忘れてしまっていた、自分の傲慢さを恥じて、彼の冥福を心より祈る。(y)



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2013年09月16日

オーストラリア13年

 13年前、SYDNEYオリンピック当時 為替レート$1=58円、ガソリン65¢/ℓ、
       現在              為替レート$1=92円、ガソリン170¢/ℓ。
 ガソリンだけではない。軒並み物価は当時の2-3倍である。在豪12年になるが、今ほど経済的に厳しいことはなかった。ワーキングホリディの若者も、生活が立ち行かず、期間を短縮して帰国し始めた。
オーストラリアでは、2000年のオリンピックに先立ち、消費税が導入された。それも、いきなりの10%である。その後、物価は徐々に上がり、為替レートも徐々に上がって、最近は80円台で落ち着いていたが、ここ最近の円安で一気に100円に迫る勢いだ。
 物価は、特に生活必需品が高い。ランチセットは軒並み$20(1840円)、サンドイッチ$8(720円)、缶コーヒー$2.4(210円)、トイレットペーパー$1/ロール(92円)、コーラ$3.8/500ml(350円)、先ごろ電気代も約30%値上げされた。
日本に帰国すると、モノの値段にほっとする。私を含め、在豪の日本人の友人たちが日本で最も行きたい場所は、コンビニとファミリーレストランである。
しかしながら、それでもオーストラリア人は豊かなのである。それは、最低賃金の高さと社会福祉制度の充実にある。要するに、国が金持ちなので、高水準の物価で回っているということだ。まさに日本のバブルの時代を思い出す。
一方で、国民の精神的な豊かさは、減っていっているような気がする。12年前、私がこちらに来た頃は、ほとんどの家にプールとバーベキューコンロがあった。羨ましかった。今では、日本の建売住宅よろしく、郊外にチマチマとした家が並ぶ。どの家もそれほどほしいとは思わない。
12年前、私はこの土地に恋してきた。しかし、憧れのオーストラリアはもはや見当たらない。
日本では、来年、消費税を8%にするという議論がなされているそうだが、歴史は繰り返す。2020年を機に、どうか日本が物質面、精神面ともに豊かな国になることを切に願ってやまない。(Y)
  


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2013年09月13日

やるからには

やるからには
東京電力福島第一原発の放射能汚染水漏れ問題で、東電は「今の状態はコントロール出来ていないと我々は考えている」と述べ、安倍晋三首相による国際オリンピック委員会(IOC)総会での「状況はコントロールされている」との発言と違う見解を示したという。
我々は首相が嘘をついたかどうかより、今後、世界に対して宣言したことを本当にする必要があるのではないか。
宣言してしまった以上、それを事実にしなければならない。宣言したことを非難するより、日本が大嘘つきならないように、これを事実に換えることだ。

ある会合で、日本政府と中国政府をどちらが嘘つきかということが、話題になっていた。国内では、フランスの新聞が風刺記事を載せたとかで、政府が不快感を示しているが、それほど海外の日本を見る目は厳しいということだ。

今は誘致できただけ。2020年東京オリンピックが成功するかどうかは、これからの7年に日本の状況をいかに改善できるかだ。(Y)

  


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2013年09月09日

国際社会からのエールー2020年東京五輪

国際社会からのエール
2020年の東京オリンピックが決まった。オリンピックの経済効果は計り知れない。長らく景気低迷が続く日本にとって、最高のカンフル剤となるだろう。もちろん我々のような海外在留者にとっても、日本でのオリンピック開催は、経済効果も大きく、非常に嬉しいことだ。
喜びに沸く日本国内であるが、実は、日本は大きな責任を負ったことになったのだ。
安倍首相は最終スピーチで、福島原発問題に対して、「汚染水は問題ない」「港湾内で完全にブロック」、と述べているが、実際は外洋漏えいの可能性は極めて高く、未だ何の解決策もないことは日本国民周知の事実だ。これは招致のためのパフォーマンスだったのであろう。しかしながら、首相は公言したのである。約束したのである。安倍首相の『コントロールされている』という発言は国際公約となった。これから日本は国際的な責務を果たさなければならない。

私は、当初は東京への招致は不可能と考えていた。オーストラリア人は原発問題にとても敏感だった。わが校で日本語を学び、ALT(Assistant Language Teacher)として日本へ赴任する学生も多いのだが、原発問題以降、ピタリと希望がなくなった。あっても沖縄限定だというのだ。彼らはオファーが九州でもさっさと辞めてしまう。沖縄以外は流通経路が同じだから、汚染食物を避けられないというのだ。日本では円安効果で外国人旅行者が増えてきたと言われているが、短期旅行者はともかくも、長期滞在となれば、もちろん健康第一に考えるのが自明であろう。
しかし、直前になって私の中に非常に勝手な望みが沸いてきた。もし東京にオリンピックが招致されれば、世界中が日本を観察する。そうすれば、もはや嘘や言い逃れは通用しなくなる。これは解決に向けて良い機運になるのではないか。

日本はこれで、「安全に」しなければならない義務を負ってしまったのだ。 東京五輪へ向けて外からの目がより厳しくなる。2020年東京五輪は、日本への大きな国際社会からのエールだと考える。(Y)

  


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2012年02月22日

コスタコンコルディア船長と東電重役

 イタリアの豪華客船コスタコンコルディア号が1月13日ジリオ島沖で座礁した。実は奇しくもこの日、私はコスタマジカ号で南アメリカをクルーズ中だった。事故は同日、クルーズ船の英語ホステスから知らされた。時差を考えると、ほぼリアルタイムだった。誰もが最初からスケッティーノ船長の逮捕を予想していた。しかし、それは彼の過失だからではない。船長という職種の責任からである。組織の長たるものは、理由がどうあれ、組織が犯した罪の責任を取らなければならない。

 下船後、ホテルでニュースを見ると、船長が船を捨てただの、先に逃げただのという報道がなされていた。完全にスケッティーノ船長は悪者にされていた。中には船長のプライベートを暴くものや、彼の性格を揶揄する記事まであった。しかし、どんなに報道されても私たちは信じない。私はコスタのスタッフのホスピタリティを信じている。

 今回の南アメリカでは、乗船直前に港でマスタード強盗に遭い、心身ともに疲れ果てて乗船した。船上はスペイン語の世界、英語話者は3600人中たった7人のマイノリティ。しかし、それがアンラッキーと感じさせないように、英語ホステスの影での活躍があった。スペイン語、ポルトガル語を解さない我々のために、日々の予定表を英語に直し、港に着く日は、先に下船できるように段取りを付けてくれた。また、パーティー等でも何かにつけ、言葉が分からないために遅れを取ってしまう我々のために、船のVIPパーティーに呼んでくれたり、アクティビティに参加しにくい我々のために、特別に船内バックグランドツアーを催行してくれたり、心尽くしのもてなしをしてくれた。私たちが困っているのを見て、船から保険会社への連絡もさせてくれた。

 ラテンアメリカの人々は、シェスタの習慣があるため、夕食が遅い。10時半ごろから食べ始め、深夜に及ぶ。そのあとに彼らはパーティーを開く。私たちはほとんど参加してなかったが、一度だけ夜中3時頃に覗きに行った。その時も船長以下、船医、給仕長、クルーズデレクターというトップクラスのスタッフから、英語ホステス、フランス語ホステスに至るまで、ほとんどのスタッフが客の間をにこやかに回っていた。当然この人たちには毎朝早くから起き出す客への仕事が待っている。本当に大変な仕事だと思った。また、バーテンダーやハウスキーパー、ウエイトレスの仕事も1日11時間労働だという。

 私たちの夕食の席の隣に美しいご婦人がいつも1人で食事をしていた。怪訝に思ったので、彼女に話しかけてみた。彼女はドイツ語訛りの英語で、「私の夫はこの船のスタッフで、いつでも呼び出されれば行かなければなりません。私はこの船にクリスマス前から乗っていますが、夕食を一緒に食べられたことは1度だけです。リオデジャネイロで私は船を降ります。その前にもう一度夕食を共にできるといいのですが。」彼女の夫は船医だった。3日後下船すれば、彼に次に会えるのは3ヶ月後だという。

 コンコルディアについては私には分からないが、少なくともマジカでは、避難訓練は確実に行われていたし、救命ボートも小さな港しかない上陸地では半分以上のボートが艀として使われるのだから、錆びついて下りなかったということはなかったと考える。また、避難訓練は1週間に1度行われるのだが、客の中には参加しない者がいたり、避難訓練の間、エレベーターが止まったり、アクティビティが休止されたりすること対して文句を言う乗客さえいた。
 
 コスタのCEOが船長の過失を責めて、すべての責任を船長に持っていった時、何を言われてもじっと耐えている船長の男らしさ、最高位にあるものの立場を弁えて責任をかぶる潔さを称賛したい。

 私たちの英語ホステスもスケッティーノ船長と半年間に渡って仕事をした経験があり、彼が優秀な船長だったと言っていた。他にも何人ものクルーやスタッフが、友達や仕事仲間がコンコルディアに乗船していた。社交儀礼ではなく、みんなが彼を認めていた。しかし、今回の船長の逮捕は免れないと、誰もが覚悟していた。それが長たるものの責任の取り方だからだ。

 あの東日本大震災からやがて1年、福島原発の事故は未だに収束しない。あの事故の責任はだれが負ったのだろうか。誰が逮捕されたのだろうか。会社の責任とはまさしく長たる者の責任、海外ではこんな認識のもとに会社は運営されている。会社という隠れ蓑の中でのうのうと生きている会社員たる方々、日本の社会が変わらないのなら、せめて海外の目はこのように見ていることを認識して頂きたい。海外から見れば、日本は責任の所在のはっきりしない国だと見られているのだ。

 私は今回の事故を踏まえても、尚且つ次回のクルーズでもコスタを選ぶだろう。(Y)
  


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2011年07月27日

命かお金か

 非常にシンプルな話なのだ。お金と命を天秤にかけて、お金を取る人はいないだろう。いくらお金があっても死んでしまえば使えない。「命あってのものだね」とはよく言ったものだ。

 節電のため熱中症で死んでいく人がいるという。どれだけ日本の産業が栄えても、日本人が健康を損なってしまったら本末転倒だ。生産工場を止めてでも、国民の健康を守らなければならないはずだ。しかし、命とお金、お金が選択される。

 長期に渡る不自由な避難生活から、せっかく津波や震災を逃げ延びたのに避難所で命を落とすお年寄りも多いという。どう見ても数年で解決するとは思えない惨状、住民の仮生活、仮人生などというのはないのだ。それなら一層、大がかりに他都道府県の過疎地域にでも生活の場所を確保すべきではないのか。それには莫大な費用がいる。これもまた、お金か命かの選択、お金が選択される。

 原発事故後、私はたくさんの友人知人に「逃げてほしい」と知らせた。しかし誰も聞いてくれなかった。理由は「仕事があるから」「家があるから」「土地があるから」だった。でも自分の子供が癌で亡くなったらどうなのか。保障とかの問題ではない。私だったら子供に申し訳が立たない。これもまた、お金か命か、お金が選択される。

 今や至る所にセシウム汚染牛肉が出回っていると報じられている。事故の直後から、食物汚染は心配されてきた。しかし日本国内ではずっと風評汚染だと言い続け、みんなそう信じてきた。こうなる前に福島の農業を閉じるべきで、政府が買い取るべきだった。しかし、それには莫大な費用が必要だった。やっぱりお金か命か、お金が選択された結果だった。

 原発問題の最大の問題は、国民が目の前の変化のリスクだけを避けようとしていることではないのか。 

 原発廃止は、経済界には大打撃だという。だから必死で反対している。しかし、経済は所詮人間が作り出したもの。仮にたとえ全部停電しても、人間は生きていける。今までと同じようにはいかないだけなのだ。電灯も車もテレビも冷蔵庫もスーパーマーケットも便利なものが一つもなかった時代でも、人類はちゃんと暮らしてきたのだ。それも何万年もの間・・・私たちは失うことを極端に怖がっていないか。失わないことには進歩しないことも知るべきだ。

 一般人に節電、節電とうるさく言う前に、そろそろ物質の豊かさを誇る日本からの脱却を図る必要があるのではないか。有り余る物質文化だけが富ではない。日本が少しくらい貧乏になったって、生きていれば、健全な世代を残していけば、また豊かになれる。それよりも今の段階で、日本が死んでしまうことの方がずっと良くない。

 避難所の人たちが、普通に生活できることの幸せを感じたという。かつて、長期の入院生活を強いられた友人に「今、何がしたい」と聞くと、「家族とテレビの前で馬鹿話しながらごはんが食べたい」とごく平凡な瞬間が答えとして返って来た。生きていることの幸せとはそういうものではないか。日常の幸せは失ってみて初めて分かるものなのかもしれない。喪失とはそういうことなのだ。全部なくなってしまうこと、取り返しがつかないこと、ゼロになることなのだ。

 オーストラリアの夜は暗い。一部の繁華街を除いて、静まり返っている。家の中でひっそりと自分の安らぎを楽しんでいる。オーストラリアの朝は早い。日が昇る前から、海岸沿いの公園ではジョギングを楽しむ人や、散歩をする人で賑わっている。若い人には少々退屈かもしれない。しかし、すぐに慣れる。慣れればかえって心地よい。

 日本も自然に逆らわない生活を考えてみてもいいのでは。日が昇ると共に起き出して、日が沈めば休む。余分な富は切り捨てて、シンプルに生きれば、命とお金とどちらが大切かシンプルに選択できるのではないだろうか。(Y)

  


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2011年07月14日

管首相だからできること、外野だから言えること

 菅直人首相は13日夕、エネルギー政策に関して記者会見し、東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の事故を受け、「原発に依存しない社会を目指すべき」との認識に至ったと説明、「計画的、段階的に依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べた。

 これに対し、日本の大方のマスコミは批判的で、「脱原発」宣言…電力供給確保の根拠もなく」と扱下ろし、一様に野党の批判を流している。「退陣を表明した首相が何を語っても、この首相の下で国づくりが進むとは誰も思っていない」(自民党)、「実現への道筋を明確にしないままでの会見は、また世論の人気取りだ」(野党)などだ。しかし、ロイターなど外国通信社では、事実のみを伝えているだけだ。この首相の宣言が世界に対する約束になるということなのだ。

 私は民主党を応援するわけでも、管首相好きでもないが、この宣言をもっと前向きに評価すべきだと思う。どんなに国民が国内でぶつぶつ言おうが、彼は一国の首相としてこの宣言をしたのだ。

 人のやったことを非難するのは簡単なことだ。しかし、今、他の誰に、こういった大きな方向性の転換ができるだろうか。日本が今本当に求めているのは、このようなリーダーシップではないか。惑わされてはいけない。他の誰が、国民が望む原発廃止を言えるだろう。ほとんどが経済界との柵で、「将来的には廃止方向」とか、「段階的に削減方向」とか、酷いのになると「上手に使えば安全」とかいう、実に紛らわしい表現で是認してきたではないか。これは管さんには失礼かもしれないが、もはや先のない首相だからこそ言えた宣言ではないか。保身を図る立場にあるものには、言えないことだ。首相が国民の意見を世界に宣言した以上、国民はこの首相がこの宣言を少しでも実現しやすくなるように協力すべきではないだろうか。

 首相は、また「今後、中長期の議論を行い、計画を固めたい。私の段階だけですべてできるとは思っていない」「未曽有の事故を体験した。そういう時期に首相という立場にあったことを踏まえ、原子力政策の見直しを提起するのはその時代の首相としての責務だ」とも述べた。

 こういった事故に遭遇してしまった首相として、彼の首相としての命が限られているが上にできることをやってもらいたいと思う。そうすることが真の日本のリーダーとして取るべき道なのではないか。そして、私たちは一国民としてそれを後押ししたいと思う。辞めろ辞めろと言うばかりが能ではないと思う。辞めることだけが責任を取ることではないと思う。辞める前に責任を果たしてこそ日本のリーダー、辞めさせる前に責任を果たさせてこそ国民じゃないのか。

 今まで管首相の悪口、政府の悪口、官僚の悪口、東電の悪口はいっぱい聞いてきた。でも何も変わらない。非難では変わらない。海外は国内の内輪もめは気にしない。次のステップに行くには後押しが必要なのだ。今こそ国民が一歩進むべき時ではないか。

私がこう言えるのも、日本にいない外野日本人だからであろうか。しかし、柵がないからこそ見えるものがあるのも事実だと思う。(Y)
  


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2011年07月02日

「神風」を待たないで

 今、学校で英語サマーキャンプをプロデュースしている。本来これは、震災や原発の被害に遭っている子供たちを少しの間でも太陽のもと、思いっきり羽を伸ばしてほしいという気持ちからのチャリティである。いち早く寄付もしたけど、未だに被災者には届かず、情報を流しても「大げさな」「気にしすぎ」と流された。日本の子供のために何か出来ることはないかと考えた末、これをプロデュースすることにした。

 だから学校の儲けはない。そのため日本国内の知人の協力とインターネットのみで販売しているのだが、ここへきて協力者の方々が頭を抱えている。というのは、悲しいことに、最近、震災を食い物にする悪徳業者が出てきて、この混乱に乗じてひと儲けしようとたくらむ人たちがいるため、一般的な傾向として、少し神経質になっているので、誤解をされないように手段を講じる必要があるというのだ。ロケフリ等で見ていても、悪徳業者の話が後を絶たない。また、放射能に敏感になりすぎることが、悪者扱いされたりしていたりするのも事実だ。関西においては全く他人事で、「なんで?」という感覚だ。

 震災後3か月を経た今、新たに3か月前の大量被ばくが発覚し、その上未だに放射能漏れは続いている。オーストラリアを始め、ほとんどの海外は日本からの食品の輸入を禁止している。だから汚染食品は政府が買い取って処分しない限り、日本国内で消費するしかない。福島の牛を全国22都道府県に移したらしいが、これでは日本の食品はすべて危険だと言っているようなものだ。風評被害と言うが、これが事実だ。外国はそうとしか捉えない。

 放射能汚染は空気汚染から水質汚染や土壌汚染へと形を変えて行っている。それなのに、校庭の表土を取り払って、地中の土と入れ替えるなど、臭いものにフタ式の対応では、汚染を長引かせるだけだ。日本は今や放射能を撒き散らす加害者であることを忘れてはならない。

 政府の対応は遅々として進まず、3か月を過ぎても瓦礫の山は撤去できず、新しい街づくりの指針すら立っていない。その間にも人は生きて行かなければならない。待ったなしで、人は成長し、年老いて行くのだ。仮の生活などないのだ。海外は政権争いをしている日本の政府を冷ややかに見ている。どの政治家も被災者のことよりも自分の地位と名誉だけしか考えていない。

 今、日本人は自分にとって何が必要か、情報に惑わされないで考える時が来ている。今回の震災から学ばなければならないのはまさしくこのことではないか。自分にとって必要な情報を自分で集める。

 人は被害者になることは楽だが、加害者であることを認めることは非常に難しい。この小さなブログであっても否定したい人が多いと思う。しかし、そこには否定することの責任、情報を無視することの責任、何も対策を講じなかったことへの責任も生ずるのだ。この責任は外への責任だ。海外への責任、そして次世代への責任である。

 最近、ライブラリーで借りた本で、「終わりから旅」辻井喬著というのを読んだ。辻井喬とは、あの西武グループの堤清二氏だ。内容は戦後史への葛藤だが、今の時代に通じるものを感じた。神風を待つのはもう止めよう。自分から行動を起こす時だ、自分で考えて行動を起こした者だけが勝ち残れる、そのようなメッセージを感じた。経済界の成功者としての彼の信念なのだろうか。
戦争を体験した人たちの中には、あの頃は仕方なかったという人もいる。しかし憤りを感じ、対策を講じた人もいたのだ。誰かがどうにかしてくれる、政府が何とかしてくれる、戦争が終わった時、それは幻想だと気付いた人たちがいる。
 
 海外の学者たちは5年後には福島の癌患者は今の5-10倍に増えると言っている。勿論確率の問題だから避けられる人もいる。しかし、5年後、何も対策を講じなかった責任を負わなければならないかもしれない。その時に後悔しないように、自分の力で正しい情報を集めて判断してほしいものだ。

 このサマーキャンプを偽善だとか自己満足だとか言う人もいるだろう。でも、その前に自分で判断してほしい、不要と思われれば無視して頂ければいいと思う。私は自分の信念に基づいて、展開していくだけである。(Y)
  


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2011年06月21日

ブッダ

ブッダ
 最近、ブッダに凝っている。といっても、私は無宗教なので、仏教そのものに興味があるわけではないのだが。
 
 きっかけは、友達がくれた1冊のコミック、「聖☆おにいさん」下界にバカンスに来たイエスとブッダの最聖コンビが、立川の安アパート暮らしの中で巻き起こす抱腹絶倒ギャグ漫画。イエスとは、言わずと知れたキリスト教の救世主ジーザス・クライシス、ブッダはもちろん仏教の創始者釈迦、ゴータマ・シッダールダです。この二人がバカンスのために21世紀の下界へ降りてきて、貧乏暮しをするという設定なのだが、ギャグが聖書の出来事やら、釈迦の説法やらからきている。たとえば「ノアの方舟」とか「モーゼの海開き」とか「諸行無常」やら「輪廻転生」やら。キリスト教のエピソードは有名なものが多いが、仏教のほうは、けっこう知っているようで知らなかったことも多い。
 
 このコミック、一説には熱心な仏教徒や敬虔なクリスチャンには、受け入れられないという説もあるのだが、私はむしろこのコミックを読むことによって、仏教とキリスト教の根本的な考え方の違いを知ることができたように思う。これは、東洋的思想と西洋的思想の違いに繋がっているようにも思う。また、ある程度の知識がないと、笑いを理解するのは難しいかもしれない。

 で、ちょっと気になってライブラリーへ。で、そこで見つけてしまいました、コミック手塚治虫「ブッダ」全8巻!!!英語(米語)版、しっかり8冊を胸に、帰ってきました。まさか英語で説法を読むとは思わなかったけど・・・

 そして、悟りを開いたのです・・・というのは嘘ですが、でも共感する部分はたくさんあった。やはり手塚治虫先生は神様だあと思いました。なんだか今まで考えていたことが、急に「そうだったのか」と思えるようになった。

 物事が思い通りに進まない時、「どうしてうまくいかないのか」と嘆くことがあるが、それは、私自身が自然に逆らって、都合のいいように動かそうとしているから。人間は拘ったものによって、失敗する。例えば、こういうことなのではないだろうか。お金に拘って必死で貯め込んでいる人が、もっともっとお金を増やそうとして、ハイリスクの商品に手を出して失敗する。名誉にこだわっている人が、最後まで自分のステータスにしがみついたがために、全責任を取ることになり、犯罪者になってしまった・・・

 自然に身を任せ(努力をしないということではない)、降りかかった困難に立ち向かうべしということだろうか。わたしは無宗教だが、おそらく人間の手の及ばないもの、どうにもできないものが確実に存在すると思っている。それが神とか仏の力というよりは自然の営みと考えているだけである。

 日本では手塚治虫氏の「ブッダ」が上映中だとか。機会があったら是非見たいものだ。(Y)
  


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2011年05月29日

原発と震災の不思議 パート2

 あの震災から3カ月近くが過ぎた。なんだか、だんだんと過去のことになっている気がする。それも日本に住むの人の方が。それでいて、被災地からの留学生は未だに方向性の見えぬ復興にいらいら。
 先日、日本食料品店でパッケージをひっくり返して、製造年月日を調べている婦人に会った。震災前の品物かどうかを調べていたのだ。海外はもっとシビアに日本を見ています。海外の人が思っている今の疑問です。

その1 どうして急に日本人は放射能に強くなったの? 
どんどんと上げられていく基準値。もはや基準値の意味をなしていないような・・・人間は事故が起きるとこんなにも強くなれるのか。元々の基準値はなんだったのか。非常事態では何でもありなのか。

その2 どうして未だに寄付金が被災者に届かないのか。
 被災地(石巻)出身の学生が言ってました。未だに寄付金は全く届かず、家族は自力でアパートを確保して、預金を切り崩して生活している。今が生きていくために一番お金のいる時。私たちの寄付金は役立たないのか?お願いだから、今渡してあげててください。

その3 どうして今になって、放射能漏れが一杯出てくるの?
 予想していたこととはいえ、今になって、「実はあの時・・・」という話が多すぎる。パニックを避けるためとか言ってるけど、パニックと人の命とどちらが大切?どうしてそれに国民は怒らないの?

その4 どうして福島の農作物が安全なの? 
放射線は3月11日の爆発でにかなりの量が空中に拡散した。これはまぎれもない事実です。残念ながら、その時に放射能は福島及び近県の畑に降り注いだ。これも事実です。「洗えば大丈夫」と言っているようですが、今後は土壌汚染、水質汚染へと移行します。つまり、細胞に含まれているわけですから、洗っても落ちません。

その5 どうして日本近海の魚が安全なの?
 10の17乗ベクレルだか何だか知らないけど、基準値の数千倍にも上る汚染水を垂れ流しておきながら、日本の近海魚が安全と言われたって、そりゃあ誰も信じませんよ。

その6 どうして校庭の表土と奥深い土を入れ替えるの?
 お宝じゃああるまいし、汚染土を地中深くに隠して土壌汚染や水質汚染を引き起こしてどうするの?汚染土の引き取り先がないということだが、日本がやってしまったこと、日本がきれいにするしかないです。こんな「臭いものにフタ」的に、見えなくしておしまいというわけには行かないでしょう。セシウムの半減期は20年から30年です。私たちの時代の過ちは、私たちの時代に解決して、次の時代に繋ぎましょう。

その7 どうして子供を疎開させないの?
 校庭は放射能汚染、給食には福島産食物で、内部被曝。自分からは逃げられない子供をどうして学校ごと疎開させないのか。たしか、日本には山村留学なんていうのがあったはず。また、過疎で廃校になった学校に集団疎開持考えられるのでは。

その8 どうして学校へ行かせるの?どこへ行った、モンスターピアレント
 かわいい子供を守るために、理不尽な要求でも学校や教育委員会に怒鳴りこんでいくモンスターピアレント。今こそ出番です。登校拒否して、かわいい子供を守りましょう。

その9 どうして汚染された土地の復興をしないの?
 本当に日本が復興するためには、こんな小手先の対症療法ではもうどうにもならないところに来ていることをちゃんと把握するべき。そしてもはや福島をきちんときれいな土地に戻すか、チェルノブイリと同じようにそこを閉鎖してしまうか、二つに一つしか手がないことを認識するべし。安全が確認されなければ、日本は見捨てられる。今のままでは、世界にそっぽ向かれて、日本の中だけに汚染を広げているだけであることに気付くべき。

その10 どうして子供を大事にしないの?
 少子化問題対策大臣とかいたはずですよね?せっかく生まれてきた子供さえも、とんでもない危険に晒されている。子供が安心して育てられる環境が造れなくて、何が少子化対策だと思う。今こそ本当の意味での少子化対策を。

 私はこの災害で日本が試されていると思う。海外は、日本という少々思いあがった国を冷静に見ている。そして話題は既にイスラム問題に移っている。世界はいつまでも同情していないことに日本は気付くべき時が来ている。
 65年前、日本は第二次世界大戦で廃墟になった。我々の前の世代はゼロから出発したはず。今までの豊かさの中で「当り前」と思ってきたことが、本当は感謝すべきことだったということに1人1人が気づくべき時なのだ。そして、我々が当たり前と思っていた豊かさの上に築かれた常識やら思い上がりやらを今一度見直さなければいけない。(Y)
  


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2011年04月27日

ありがとう、ジュリア・ギラード首相

 先週、ギラード豪首相が東日本大震災の被災地を訪問した。海外の首相としては初めての被災地訪問である。当の日本の首相ですら、1か月も現地入りしていないのに、独自路線での被災地訪問はオーストラリア独特の開拓者精神を彷彿とさせる。瓦礫の中に1人佇む彼女の姿は、困難に立ち向かう勇者の姿、頼りがいのあるリーダーの姿に思えた。

 あの首相交代劇から1年足らず、そういえば大洪水の時には、ケビンラッド元首相が、ズボンの裾を膝までまくって、自ら箪笥運びをしていた。その姿は、けっして票稼ぎのパフォーマンスではなかったように思う。私は政治については全く分からないが、政治家とはやはり自国民の幸福のために戦うものだと思う。

 先日、娘が日本に嫁いでいるというオーストラリア人老夫婦と会った。娘夫婦は既に孫とともに日本を引き上げて、こちらに戻っている。しかし、彼らにとって、日本は不思議の国でしかない。これだけ放射能汚染が広がっているのに、「安全」を繰り返す政府、それを鵜呑みにする国民、挙句の果てに、汚染野菜を食する政治家パフォーマンス・・・。大本営発表、竹槍攻撃などという前時代的な言葉が蘇ってくる。遠慮がちながらも「日本人は何を考えているのだ」という非難が滲み出ているように感じた。老夫婦が話の終わりに言った言葉、「地震、津波、洪水、テロ。どこに居たって災難はやってくる。でも、同じ災難に遭うなら、私はオーストラリアで遭いたいよ。ここなら、ジュリアが対処するし、ケビンだって一緒になって家財道具を運ぶしね。」私たち日本人に同じことが言えるだろうか。

 ギラード首相は親善パーティーの席で、「災害にあった大学生や研究員がオーストラリアに留学ができる新しい制度を設けたことを発表したい」と申し出た。この留学制度では、被災した学生らに渡航費や学費、宿泊など留学費用のほぼすべてオーストラリア政府が負担するということである。更に彼女は「教育省出身の私にできることはこれだと思った」と語っている。

 私は教師の端くれとして、ここに目をやってくれた豪首相に心から感謝している。今、日本に一番必要なのは、真のリーダーシップと国民のための政治力ではないだろうか。このオーストラリアの好意に対して、今、日本は全力でこれに応えるべきである。この留学は決して、被災地へのプレゼントや寄付のようなものにしてはならない。かといって、今の国費留学のような一部のエリート留学になってもならない。今こそ日本人はこの留学を経て、真のリーダーシップを学ぶべきである。そして、今後の国づくりを担うリーダーを養成すべきである。けっして政治主導の留学生にしてはならない。

 そのためには何が必要なのだろうか。まず大学生という年齢から「言葉の壁」の問題がある。英語学校に行って、IELTS何ポイントとかいうことではなく、大学の講義を漏らさず理解できるところまでの能力が必要だ。加えて、卒業後日本に戻り、日本のリーダーとなるべき彼らには、日本独特の社会を理解しなければならず、外から見た日本の社会学、政治学も学ばねばならない。その上で、大学の講義を受けてもらいたい。また、コミュニケーション能力、リサーチ能力なども、日本に比べて非常に進んでいるので、その辺も身につけて頂きたい。そのためには、単に大学だけでなく、それを補うアフタースクール的な機能が必要になってくるのではないだろうか。

 私のような一教師が何かを言える立場にはないことは重々承知している。しかし、せっかくのオーストラリアの好意を絶対に無駄にしたくない。日本のためにも、オーストラリアのためにも。だから、今この留学に対して何か自分ができることはないか考えている。

 留学というのは二つの文化を両方理解して、比較できることではないか。勿論、厳しいものだと思う。日本が近代化を目指した明治初期、西洋文化を学ぼうと優秀な日本人が多数ヨーロッパに留学した。彼らもまた厳しい条件に耐え、苦しみ、もがき、その中で日本のリーダーとしての素質を付けて行った。今後日本は経済的に一層苦しくなっていくことが予想される。お遊び留学の時代は終わった。

 オーストラリアは新しい国である。国歌にもあるように、若くて自由な国だ。それに惚れ込んで、オーストラリアに住み続けている自分たちが、何ができるか。いつか日本人が、「災害に遭うなら日本で遭いたい」と言える国になるために、たかが一個人と諦めることなく、様々な手段を考えていきたいと思う。(Y)
  


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2011年04月07日

原発・震災の不思議???

海外在住者から見た素朴な不思議???です。
どなたか答えてください。

その1 携帯電話/パソコンの不思議
 なぜ、避難民に古い携帯電話を配り、みんなが通信できるようにしないのか?たしか、日本には1円とかで売っている古い携帯電話が有り余っていたはず。
 なぜ旧モデルのパソコンを一家に一台とか入れて、避難所にWiFiを設置して、みんながネットで情報を得られるようにしないのか?
 TELESTRA(NTTオーストラリア版)は、震災から2週間、日本への通話は無料だったよ。アメリカの電話会社も3月中無料だった。

その2 ms/1時間当たりの不思議
 なぜ、発表されている放射線量の単位がバラバラなのか?今出されている放射線量はほとんどが1時間当たり、問題は累積放射線量
発表値×24×360=発表値×8640=年間累積放射線量
ということ?更に廃炉まで30年、今の状態は5、6年続くというから、その5,6倍がその土地に住む人の受ける累積放射線量ってこと?
「1年間ホウレンソウを食べ続けても・・・」って、一見、「そんな奴いない」って安心できると思うけど、ほとんどの人は毎日野菜を食べるでしょう?他の野菜だって被害受けているんだよね。でもその野菜が基準値以下なら問題ない?

その3 計画停電の不思議
 なぜ、計画停電を無理やりわずかしか使っていない個人住宅に持っていくのか?1万戸の個人住宅とビル1つが同じ電力消費量だって、昔、東電で言っていたはず。どう考えたって、都内のネオンやら明るすぎるビルの照明が先でしょう?
 ヨーロッパの繁華街は日本に比べると、格段に暗い。派手なネオンサインだってない。でも普通に文明社会だよ。ここオーストラリアだって、御茶入れるお湯はそのたび沸かして、保温なんてしないし、ウォッシュレットだって、一般的じゃない。
 もう一つ、計画停電は来年まで視野に入れているという。だったらなぜ今、早急に病院などのどうしても必要な送電線と営業用の送電線を分けないのだろうか?日本の技術を持ってすれば、できないことはないと思うのですが?

その4 ホカロンの不思議
 震災後1週間ほどは、灯油が行き渡らず、寒さを訴える被災者がたくさんいた。なぜ、使い捨てカイロを多量に配給しなかったのか?私の家の周りの日本マーケットでもすぐ手に入るのに。それに発売元はロッテだから、韓国企業。灯油より先に送れたのでは?

その5 NHKの見解の不思議
 5年前のNHKスペシャいル「汚れた大地―20年後のチェルノブイリ」を見た。ここでは、暗に累積放射線による被害を認めないIAEAを責めているのに、どうして最近は「ただちに健康に被害はない」とずっと言い続けているのか?

その6 海洋投棄の不思議
 汚染水の海洋投棄が始まった。これはやっていいことなのかな?事故で仕方なく流れたチェルノブイリの時だって、世界中が原発テロって大騒ぎしたよね。「しかたない」で許されることなのかなあ?外国は怒っているよ。相手は水なんだから、仮設タンクとかに一旦入れて、高分子ポリマーとかで固めるとか。今こそ技術大国日本の底意地が見せられないのか?
南半球は物理的に空気汚染は考えられないけど、海洋汚染は世界中に影響するから、黙っていないと思う。原子力保安院の「海は広いから薄まる」という考え方は本気か?だとすると、今後何でもかんでも海洋投棄が許されるようになる?

その7 非常事態宣言の不思議
 どうしてこれだけの国難なのに、エジプトやチュニジアみたいに非常事態宣言を発令しない?そうすれば、決定権はすべて首相にくるはず。もう少し統制取れるのでは?「想定外の」とか、「未曽有の」とか言っているんだったら、決定を一本化して事を進めた方が良かったのでは?

その8 子供の心のケアの不思議
 避難所の子供たちの心のケアが大切って叫んでいるけど、本当にみんなに必売りをしているようなところがないだろうか?実際、大人にしたって、子供にしたって、現実を受け止めて、現実の中で暮らしていかなければならないでしょう。
 因みに、私の生まれ育ったところは、海の近くで、毎年のように台風に襲われていた。当時は台風の度に停電し、浸水し、被害も出たが、そういう非日常は子供にとっては不謹慎だがお祭り騒ぎだった。一概に大人がPTSDと決めつけるのもどうかと?

その9 海外支援の受け入れ拒否の不思議
 どうして、ここオーストラリアを始め、世界各国がその日のうちに援助隊や援助物資を送ろうと申し出たのに、日本政府は書類が揃わないからと、みんな1週間以上足止め食っていたの?もっと早くレスキューが入っていたら、もっとたくさんの人が救えたのに。また、どうして医療援助部隊が行ったのに、日本の医師免許がないという理由で、活動を拒否され、成田からなすすべもなく帰国したの?外交上の問題で鎖国は構わないけどさ、書類のために自国民を見捨てるようなまねはしてほしくないね。

 そして今、結局は原発は外国任せで、外国の利権に脅かされ、日本人が犠牲になっている。世界の目は被害者を見る目から加害者を見る目にかわりつつあるし。居たたまれないね。(Y)



  


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2011年04月02日

災害3週間目

 震災後3週間が過ぎた。NHKのUSTREAMも打ち切られ、海外で日本の情報を得るのがだんだんと難しくなっている。それでも、チャット仲間が、技術を駆使して、あるいはNHKに直談判に行きながらも、細々と電波を送ってくれている。おそらく、ネットに詳しい若者たちであろう。いろいろな特技や立場を生かして、なんとか自分にできることはないか探して、頑張っているように思う。私は、今までさほどネット人間ではなかったが、今回の震災で、様々な情報を得るのにいくつかのサイトに訪問するようになった。

 現場で作業を続ける人たちには本当に感謝する。命がけの作業だ。無名の彼らが日本を救おうとしている。それには本当に感謝している。しかし、それを美談として、話をすり替えようとしているマスコミが気になる。

 東京電力本店前で繰り広げられていたデモをUSCREAMでちらっと見た。考えてみれば、これだけのことが起こっているのに、今まで際立ったデモや集会がないのが不思議である。同時に、草食系とか言われながらも、きちんと意見を言い、行動に移せる若者がいたことに、頼もしく思った。しかし、彼らの主張を聴いていると、何が言いたいのかよく分からない。たぶん、今の苛立ちをそのままぶつけただけのように思う。

 他人のことに無関心でいる、コミットメントしない、それが最近の若者の特徴だと言われるが、どう関わっていいのか分からないというのが本音なのではないだろうか。事実、ボランティアを申出ている人は相当数に上っている。知恵袋などでも、気持ちを分かち合いたいという投書が多数寄せられている。

 先日、ぶらりと図書館へ行って、ある本を見つけた。「THUNAMI津波」 高嶋哲夫(集英社文庫)である。この本は2005年12月に刊行されたものだが、不謹慎と言われるかもしれないが、場所が異なるだけで、今回の東日本震災を予測したとも言えるような作品である。また、作品中に、地震や津波、原発を扱っているため、現在の危機的状況を生き延びるヒントがあるのではないかと話題になっているらしい。東電や政府の歯切れの悪い発表、頼りない大手メディア、錯綜するネット情報。この混乱を生き抜くため、一度、高嶋氏の作品を手に取ってみてはいかがだろうか。現実と小説を重ね合わせるのはあまり好まないが、しかしここにヒントが隠されているような気がする。

 日本は、力はあるが、それを活用するリーダーの牽引に欠けているということなのでは。小説でも、経済最優先で、なんとか対面を守り、責任を逃れようとする官僚が出てくるのだが、結局は一市役所防災課職員が作ったハザードマップと防災担当者を繋いだ草の根的なシステムに救われるというシナリオだ。

 海外組が見方を変えてきているのは確かなようだ。最初は未曽有の危機に襲われた祖国日本を何とか外から支えられないだろうかと誰しもが思っていた。それが、日が経つに連れて、日本の政府との間に温度差を感じてきている。復興には時間が必要、それまでに一旦被災者の生活を落ちつけてというのが、海外組の考え方、それに対し、政府は現地に拘り、現状維持で立て直しを図ろうと考えている。つまりは前例に従ってというところか。海外組の多くが安全な場所への避難、宿泊施設の利用などを考える。

 オーストラリアを始め、世界各国がその日のうちに援助隊や援助物資を送ろうと申し出たのに、日本政府は書類が揃わないからと、みんな1週間以上足止め食っていた。あのNZでも活躍した部隊だ。もっと早くレスキューが入っていたら、もっとたくさんの人が救えたのにと悔やまれてならない。また、医療援助部隊が行ったのに、日本の医師免許がないという理由で、活動を拒否され、成田からなすすべもなく帰国した。本当にやるせない。鎖国は構わないけど、書類のために自国民を見捨てるようなまねはしてほしくない。

 ともかく、今は日本中で専門知識のある人が必要とされている時。これを機会に日本もスキルについて考えるべきだと思うし、いい加減、官僚主義を考え直すべきだと思う。また、だんだんと「喉元過ぎれば」で関心が薄くなっていくのが、一番恐ろしい。(Y)



  


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2011年03月24日

子供を守りたい!

日本の皆さん、お見舞い申し上げます。

オーストラリアでは、子供を中心に受入ができないかという動きも出ていますが、日本人の考え方と大きく食い違っているように思います。

前回も書いたが、在外の日本人の多くは移動できる人は移動して、復興に向けて次の対策を練るべきと考えている人が多いのに対し、日本人は現状維持のまま復興に向かいたいと考えている。

私も日本人なので、その気持ちが分からないわけではない。事実、私が友人たちに暫くの転地を勧めても、ほぼ20人に1人が耳を傾けてくれるかどうかで、それ以外はほとんど「仕事がある」「家族や親類がいる」という理由で、相手にされない。

先日、オージーの友人と、このことについて話し合ってみた。彼らは60代の夫婦と30代のカップルだが、「もしサンシャインコースト(ゴールドコーストから200km、福島原発―東京間に等しい)に原発があって、そこが事故を起こしたとしたら、ゴールドコースト中の人間はとっくにビクトリア辺りまで逃げているよ」という。私もそう思う。それこそ「仕事なんかやってられないよ」となるんだろうな。別の友人は、日本人は「集団心中的思考」「神風」などという物騒なことまで言い出す始末。

たぶんこれは、日本人とオージーの、農耕民族と狩猟民族の違いなのではないか。日本人はみんなで一緒に困難を乗り切るという考え方、オージーは自分の身は自分で守るという考え方なのだ。

かつて、放課後の子供の誘拐や事件が続いた時、子供を持つ友人に「どうして送り迎えをしないの?」と聞いてしまい、猛反発を受けたことがある。「仕事があるし、忙しいし、そんなことはできない。」それが彼女の答えだった。確かに、私も日本にいた時だったら、絶対に同じように答えたと思う。でも今は、子供が一番大切、後は二の次とはっきりと言える。

ここでは13歳未満の子供を1人で置くことは法律で堅く禁じられている。極端な話、13歳未満の子供を部屋に残して、ごみを捨てに行っても違法である。私のように長く海外にいる者にとっては非常にいい制度だと思えるが、日本では受け入れられないだろう。

日本のテレビ番組で「はじめてのお使い」とかいう番組があるが、これはオージーには信じられないことである。 

いずれにせよ、今こそ自分で情報を集め、理解し、決断する時なのだと思う。子供は未来の宝、子供を守りたい。子供は自分で守れないから。

次のサイトは海外在住日本人が情報収集に使っているサイトである。本家は別にあるが、こちらのチャットの方がスパムが少なく穏やかに思う。(Y)

http://www.ustream.tv/channel/nhk-mirror

  


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2011年03月17日

オーストラリアから日本の災害にできること

東北関東大震災に遭われた方々、困難な状況ですが、頑張ってください。
海外からですが、ツイートやuscreamで、毎日状況を把握して、何ができるかを考えています。
うちの学生数人も家族が被災しました。昨日までで、全員の家族の生存が確認できましたが、依然連絡はとれません。学生たちはかなり不安になっていますが、私としては今すぐに帰国しないことを勧めています。今の状況では、帰国しても被災地に近づくことは不可能ですし、原発の問題があります。学生たちも、無事が確認できてからは落ち着いて行動しています。本当に生きていてさえくれればと、それよりも、ここにいてできることを一緒に考えようとしています。

オーストラリア在住の皆さん、我々に今何ができるのでしょうか。
まずは、ありきたりですが寄付、赤十字を通すのが一番確実です。
次に情報提供だと思います。日本にいる人たちには正しい情報が行っていないように思います。もちろん日本政府は混乱を避けるために、いたずらにあおることを避けているのでしょうが、だんだんと情報が混乱してきています。お気づきの方も多いと思いますが、海外メディアの情報(CNN・BBC)などと、余りにもかけ離れています。原発事故のレベルは今日現在既に6に上がっています。今こそ、我々の語学力を生かして、自分の周りの人にだけでもこれを伝えるべきではないでしょうか。煽るつもりは毛頭ありません。日本にいる人は、安易にテレビだけを信用しないで、他の情報を解読し、自身の判断で考えてほしいと思います。

チェルノブイリの時、最初に異常を感知したのは1000km以上も離れたスウェーデンのフォルスマルク原子力発電所だった。たった1日の間に風に乗ってこんなに飛んでしまうのだ。当時、ソ連はまだ冷戦中で、国際的な混乱を避けるために事故を報告しなかった。そのことを日本をはじめ西側諸国が責めて、情報公開することを決意させた。しかし、他国は責めることができても、実際に我が身となればいかに難しいことかを今回見せつけられている。
もう一つ、ここ数カ月の世界的出来事を考えてみると、情報というものが大きな力を持っていることが分かる。エジプトやチュニジアの革命、ウイッキーリークスの事件、それだけに日本政府も情報コントロールせざるをえないのだ。
 これにまじめな日本人気質が「苦しんでいる被災者の人を置いて自分だけ逃げるのは裏切りだ」という後ろめたさを生みだして、なかなか避難に踏み切れないように思う。

すでにアメリカは大使館機能を大阪に移している。ドイツとスイスは自国の原発廃絶を宣言している。原発はアメリカ製で東電にスキルがない。海外の空港では日本からの渡航者に放射能チェックを始めている。昨日、台湾の空港で東京からの渡航者3名から高濃度の放射線が検出された。

デマであればデマでいい。移動できる人は一人でも回避してほしい。(Y)
  


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2011年03月10日

母は強し!

 突然、ある卒業生が姿を消した。彼女は30歳のワーキングホリデー、卒業後もアシスタントとして授業に参加していた。何度か心配になって連絡をつけようとしたが、難しかった。一度だけ、彼女の方から連絡が入った。ブリスベンにボーイフレンドと一緒にいるという。お金に困っているから、勤めていた日本食レストランのアルバイトは昼だけにして、夜は別のところで働いているという。ボーイフレンドと結婚するとかいう話もしていた。
 
 不審に思ったが、彼女も30歳、彼女の人生だからとも思った。数日後、彼女の方から6月から決まっていた就職を断りに来た。話を聞いていて、不審な点が余りにも多く、帰国を勧めた。その場では彼女は帰国に応じ、翌日からアシスタントに戻ることを決心したものの、これまたお決まりのコースで、翌日からぷっつりと連絡を絶った。

 学校として、教師として、できることはここまでである。
 そんな折、日本から連絡が入った。娘の異変を察知した母親が、学校に問合せをしてきた。私はこれまでの経緯を話し、心配しているということを伝えた。

 母親の行動は素早かった。翌日の便でゴールドコーストに飛んできた。連絡を受けて、私は空港に迎えに行った。これだけ素早い行動を起こせる人だからと想像していたのだが、初対面の彼女の母親にびっくり!失礼を承知で言わせてもらえば、はっきりいって、田舎のおばちゃんなのである。英語もまったくできない、海外も初めて、両替もよく分からない、ほとんど着の身着のまま、近所の旅行会社に飛び込んで、航空券と今晩一晩だけのホテルをとって来たという。ただただ娘を思う気持ちだけで、駆けつけてきたのである。
 学校に案内し、詳しい状況を説明した。母親が知っている住所にはもういないだろうこと、勤めていたところも今は変わっている可能性が高いこと、ボーイフレンドと一緒にいる可能性が高いこと、説得には応じるかどうかは分からない・・・楽観的な要素は全くなかった。様々な連れ戻し工作も考えた。嘘も考えた。母親は夕べも一睡もしていなく、パニックに陥っているのが分かったので、一旦ホテルに連れていって、ゆっくり考えるように勧めた。

 2時間後、母親は。娘のアルバイト先に向かっていた。店の名前も分からないのに、日本語新聞の広告を虱潰しにあたったらしい。店主が、もう勤務を終えて帰宅の途についていた彼女に連絡した。彼女は引き返してきた。
 
 店の前で佇む母親を見た彼女は
「なんで、お母さんがここに?」
「なんでって、あんたを迎えに来たんやないか、一緒に帰ろう」
「・・・。わかった、ありがとう。帰ろう・・・」
何の工作もいらなかった、何の嘘もいらなかった。彼女はその場で店を辞めて、放置していたシェアハウスの後片付けを母親と一緒にして、母のホテルに向かった。

 夜、連絡が入った。母娘は今週末にゴールドコーストを発つという。そして1週間ほど二人でオーストラリアを旅して帰国するとのこと。帰国後は日本で日本語教師の仕事を探すこと、6月の就職はそれから考えたいと話していた。

 最近は親子関係が希薄なところが増えている。しかし、無償の愛を与えられるのは親以外にない。

 母親が絶望的な状況の中で
「私、こんな中でも、あの子は私の顔さえ見たら、戻ってきてくれると信じています。おかしいですなあ」
と呟いたのが印象的だった。(Y)
  


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2011年02月27日

外国人看護士について ―日本語教師の立場から②

 もう一点、外国人看護士の受け入れと看護士不足とはまったく別の問題である。
 
 外国人看護士なぜ看護士が不足しているか、それは日本人がやりたくないからである。苦労して勉強して看護士資格を取っても、結局のところ、安い賃金で過酷な労働を強いられるからだ。この問題解決に外国人看護士を採用するというのは余りにも失礼な話ではないか。

 日本人は未だにバブルの頃の夢から覚めていないのではないか。日本が、今でも外国人が喜んで来る国かどうか考えてみる必要があるのではないか。いろいろな民族が自分たちの権利を主張して、立ち上がっている今、もはや出稼ぎ場所としての日本が成立するかどうかだ。今、日本という国が海外からどう見られているのかを認識すべきではないか。もはや経済大国でもない、物価も高い、差別は多い、とうてい出稼ぎに来るほど魅力のある国ではないということを認識しなければならない。

 よくWHの若者に、「何か楽で儲かる仕事ありませんかねえ」と尋ねられる。「英語話せないなら、夜中の掃除とか」というと、決まって答えは「掃除とかは嫌です。もっと楽でかっこいいの」という。異国で、楽で収入のいい仕事など見つかるわけがない。それでも我々のような移民ががんばって住んでいるのは、この国にそれだけの魅力があるからだ。

 逆にいえば日本人はそれほど切羽詰まっていないということなのか。他国からの移民たちはどんな仕事にでもしがみついてくる。先日の一時帰国で一番感じたことは、やはり長引く不況だった。しかし、仕事がない、リストラされた、就職できないなどと言いながらも、どんな仕事でも感謝してやるほどの度量は座っていない。東北のクリーニング会社が派遣村から10名の従業員を採用したが、翌日には1名を残してみんな派遣村に帰ったという話を聞いた。

 それでいて、日本人は傲慢にも言葉も通じないような看護士はいらないという。それならそれで、看護師の待遇をもっと上げるべきである。労働やスキルに見合う賃金を出すべきである。

 今、ふとクルーズ船のスタッフのことを思い出した。クルーズ船でのハウスキーピングをやってくれるのは、フィリピン人が多い。ほとんどの人が家族を国に残して、半年、1年という単位で乗船して働いている。A船でのハウスキーパー、リサはすべてにおいて、気がきく。水着で出て部屋に戻ると必ず新しいプールタオルが置いてある。夕食を終えて部屋に戻ると、アイスピール一杯の氷が置いてあり、新しいコップも添えてある。一方B船でのハウスキーパー、サラは言えば快くやってくれるけど、まず心づかいはできない。二人ともとても気さくないい人である。これは単に彼女たちのパーソナリティの差ではない気がした。3週間も乗っているので、自ずと話す機会もできる。それで分かったことなのだが、A船の待遇はB船に比べると頗るいい。給料や休日などはもちろん、船会社がA船では彼女たちを他のスタッフと同じように扱っているが、B船ではあくまで「出稼ぎ」扱い。彼らの話を聞いているうちに、会社がスタッフに対して、どう接するべきかということを考えさせられた。よく言われることだが、スタッフを大切にできない会社は結局損をする。私はビジネスマンではないので、こういうことには疎いのだが、こんなに歴然と差が出るものだろうかと思った。

 日本が魅力ある国になれば、外国人も自ずとやってくるし、看護師が魅力ある仕事になれば、看護師不足も解消できるし、競争原理が働くので、スキルアップになる。そこで本当に必要だと感じたら、外国人看護師も日本語を必死になって覚える。そしてこのスキル戦争に勝たなければならない。しかし、逆にこんな仕事をしても仕方ないと感じたら日本語も学ばないし、日本にいたいとも思わない。

 賃金を含めて、外国人看護士が日本で働きたいと思うような国にしない限り、小手先の変革や暫定処置では何の解決にもならない。マスコミの思惑通りに文句を言うのではなく、日本人が日本語で安全に暮らしたいのなら、魅力ある日本という国を作ることが我々に突きつけられている課題ではないだろうか。(Y)
  


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2011年02月23日

外国人看護士について ――日本語教師の立場から①

 さる2月20日、看護士国家試験が行われた。日本語教師という立場から外国人看護士問題について考えてみたいと思う。

 政府のEPA(経済連携協定)に基づく外国人看護士候補者の受け入れ事業が3年前に始まったが、在留資格となる国家試験合格者はわずか1%。「褥瘡」「仰臥位」といった日本人ですら難解な専門用語が並ぶ看護士国家試験を課することに問題があるとする意見が多いが、実際の問題はもっと別のところにあるのではないか。

 確かに日本語は言葉のバリエーションが多く、言語学的に見ても難しい言葉である。専門用語を難解な漢語で表すことにどんな意味があるのだろうか。しかし、この問題は外国人看護士に対する国家試験を考える前に、日本の看護士試験について考えるべきことなのではないか。日本の職場が閉鎖的だということに他ならない。

 先日、JALがパイロットの依願退職者を募ったが、応募者は半分にも満たなかった。パイロットというスキルドの仕事だから、他のエアラインに転向することは簡単だろうと思ったのだが、友人のオランダ航空の元パイロット曰く、「JALのパイロットはJALでしか通用しないガラケーならぬガラパゴスパイロットなのさ」と冗談めかして言っていた。

 看護士の資格は、国によって様々でその権限範囲も異なる。ここオーストラリアにおいては、日本の看護士よりも権限範囲が大きいため、日本の看護士資格では稼働できない。もう一度大学で勉強し直さなければならない。当然英語である。確か入学条件もIELTS7.5と非常に高かったはずだ。それでも日本人看護士がこちらで働くのはなぜだろうか。この国の医学や看護学に魅力を感じているからだ。

 日本はライセンス社会だが、スキル社会ではない。ライセンスさえ取ったら、或いは大学さえ出ればと、免許証や卒業証書を就職への切符のように考えていないか。これは今や幼稚園から始まるという「お受験」に代表される教育の方法に問題がある。いい学校へ入るために、あるいは就職試験に合格するためにだけ、せっせと勉強する。本来なぜそれを勉強するか、どう役立てるかを考える余裕がないところに問題がある。これは日本人が日本人自身で作った問題である。

 残念ながら、うちの養成講座でも、すぐに「模範を見せてください。」、「どうやって教えたらいいかマニュアルにしてください。」などという学生がいる。うちでは基本的なものはテキストとして渡しているのだが、マクド○ルドのような完璧なマニュアルがほしいという。学生それぞれによってニーズも興味も違う、教師の人生経験も違う、言葉やその後ろにある文化を教えるということは、それをいかに料理するかである。語学教師のスキルとは、インプットした知識をいかにアウトプット(教えるか)ということなのに、知識を加工することを面倒くさがる学生が増えている。

 私が日本語教師になるきっかけは、実は病院だった。もう20年以上まえのことだが、医療技術者の資格で、ある大学病院に勤務していた時、中国からの研修医が多数この病院へ来ていた。しかし、研修医たちは英語を話すのだが、日本人医師たちは英語を話せない。結果、研修医たちに誰かが日本語を教えないと、コミュニケーションが取れないということになり、当時病院では特殊な立場であった私に白羽の矢が立った。もちろん日本語教師の経験などなかった。それから慌てて短期養成講座を探すような状態だった。バブル絶頂期のことである。それがきっかけで、難関という試験も合格した。ただ働き同然で仕事もした。ひたすら経験を積んだ。がむしゃらに勉強した。ようやく自分でも「日本語教師です」といえるところまできた。

 よく学生が「この講座を受けたら、日本語教師になれますか」と聞いてくる。日本語教師として働くには学校に認めさせなければならない。「自分はこれとこれができるから、この待遇で雇ってくれ」という交渉をしなければならない。我々のように海外で働く機会の多い仕事は、「自分のスキルをいくらで売るか」ということが働くことなのである。コネもカネも信用さえも自分自身で勝ち取らなければならない。今のままの日本のガラパゴス資格ではどんどん世界から取り残されていく。(Y)

   


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2011年02月15日

本当のことを知ろう ―― エジプト革命

 ついにムバラク大統領が辞任した。もはや民衆の力に抗いきれなくなった格好だ。オバマ大統領はこれを歓迎する声明を出している。

 前回、なぜこの革命が起こったのかについて少々書いたが、ムバラク政権の間は日本のマスコミは一切反米には触れていなかった。ここにきてやっと、本当の革命の目的は反アメリカにあることを書き始めた。

 実は、私は本当のことが知りたくて、先週インターネットで何時間もエジプト関係の記事を探して読んだ。得意ではないが、英語のサイトも読んだ。うまくいかなかったが、アラビア語のサイトも自動翻訳しながら読んだ。その中で一番真理を突いていると感じたのが、タレントのFiFiさんのブログだった。申し訳ないことに私はタレントのフィフィさんというのはそれまで全く知らなかったし、正直テレビとかで見たこともなかった。このブログは、何よりも報道に惑わされず、市民レベルでありのままが書かれていた。なぜか文章の中に真実味を感じた。また、オーストラリアにいるエジプト人にも事の真相を聞いてみた。私の周りにいるエジプト人は押し並べてこのフィフィさんと同じようなことを話していた。

 なぜに日本のマスコミは反米について今まで書かなかったのだろう。今、いくつかのこういった批判が上げられているが、私はこれには賛成できない。私たちにはインターネットという強い見方があるのだから。本当に真実を知りたければ、私たち読者のほうが、これらの真実を見つける努力をしたらいいことではないだろうか。その努力を怠って、マスコミを批判するのは、不条理である。

 うちの日本語教師養成講座では、論文とエッセイのアサイメントを課している。学生によっては、海外で乏しい参考資料の中、書けないと文句を言う学生もいる。しかし、今や我々はワンクリックで、世界中の人々の意見を知ることができる。むしろ、必要なのは参考資料よりも、事実を見極める能力ではないだろうか。

 インターネットは誰もがどんな意見でも時には匿名でも書き込むことができる。それだけにもちろん捻じ曲がった意見や、真実とはかけ離れた記述もある。

 視聴者のほうが事実を見極める能力を身につけさえすれば、マスコミもそうそう都合のよい情報を流すわけにはいくまい。視聴者から見放されてしまう。かつて、ベルリンの壁が崩れたことを、まず東ドイツ国営放送が報道したが、東ベルリンの人は誰一人として信じなかったという。その後、西ドイツのテレビ局が報道した直後から、東ベルリン市民は壁に向かって歩き出した。

 もともとこのエジプトの反政府デモはfacebookやツイッターを使って賛同者を集めたという。日本のブログやツイッターを見ていると、もっともらしく誹謗中傷ともいえるコメントが書かれていることが多く、日本のネット社会に対する良識を疑いたくなる。コメントとは本来そういうものではないだろうし、そういったコメントは無視されて、置き去りにすることでその存在価値を認めなければいい。

 大切なことは、何が真実かを見極める我々の能力を養うことだ。(Y)





  


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2011年02月08日

エジプトの革命に思う

 今回のエジプトの反政府デモは、単純に腐敗した長期政権への不満の爆発というだけではなく、その後ろ盾となっているアメリカの覇権から逃れて、真のイスラム国家の独立を願うエジプト国民の意思が背景にあるようだ。

 その昔、「成せばなる、成さねばならぬ、何事も、ナセルはアラブの大統領」などという風刺川柳のようなものがあったが、2代ナセル大統領とその意思を引き継いだ3代サダト大統領はアラブ人国家を目指したのに対して、退陣を迫られているムバラク大統領は冷戦終結後、親米主義を通してきた。イスラエルやパレスチナの問題が複雑に絡みあっているので、一言では言えないが、この革命は世界がアメリカの時代から次の時代に移ろうとしているということではないだろうか。

 アメリカはユダヤ人を守るためにイスラエルを建国し、そこにいたパレスチナの人々を追い出した。そして20世紀のエネルギー源である石油を確保するために、表面上は中東の平和を画策してきた。つまりは中東諸国へも経済力や軍事力にものをいわせ、政治に関与してきた。しかし、ここにきて、民族自決主義が台頭してきたということではないだろうか。

 ここで、今から20年ほど前のソ連崩壊を思い出してもらいたい。ソビエト連邦という国は、第二次世界大戦前後から周辺の国々をどんどんと征服し、あるいは衛星国化し、自国の主義主張を押し付けて連邦化してきた。しかし、民族には民族の文化があり主義主張があるのは当然のこと、何かのきっかけがあれば一気に不満は爆発する。それが大きな波となって歴史を塗り替えた。きっかけこそ違え、抑圧された民衆の不満は巨大な力の渦となって、巨大国家をも転覆させる。

 タハリール広場のデモを見ていると、1989年から90年代初頭にかけての東側国家の崩壊と新生を思い出す。1989年10月、当時のホーネッカー書記長の退陣要求デモから1カ月も経たない11月9日深夜、ベルリンの壁に殺到した民衆はついに検問所を開けさせて、壁の上によじ登った。1961年の壁建設以降、絶対不可能なものの代名詞とまでいわれたベルリンの壁を民衆の力で無血崩壊させたのだ。

 それから3ヶ月後、私はベルリンの壁の前にいた。歴史の1ページをどうしてもこの目で見たかった。当時、泣く子も黙るといわれたチャーリーチェックポイントでは、東側の係員たちが一緒に写真を撮ってくれと笑顔でカメラに向かう。3か月前には考えられなかったことだが、東ドイツの皆が壁の崩壊を待ち望んでいたかをひしと感じた。2ヶ月後に壁の撤去が決まっているとはいえ、まだまだ2国に分かれていた時のことだ。しかし、長年分断された東ドイツは、検問所をくぐった瞬間に50年以上タイムスリップしたのではないかと思うほどだった。6車線の道路には車は1台もなかった。政府の建物の前に2気筒紙製のトラバントが2台駐車されていたのを覚えている。スーパーマーケットにはほとんど食糧はなく、冷蔵陳列棚に肉が一袋ゴロンところがっていたのが印象的だった。駅に向かうと長蛇の列、列の先頭はなんとバナナ売り。西ベルリンに向けての豊かさのメッセージのために建てられた(西ベルリンから見えるのはこれだけ)先進的デザインのテレビ塔だけが空しく聳え立っていた。東ドイツの国民がいかに抑圧されてきたのかを感じた。

 国が国民を蔑にしてきたことへの反発は大きい。これは中世からの革命を見れば分かる。フランス革命しかり、ピューリタン革命しかり、東欧革命しかり・・・列挙に暇がない。一部の権力者が富を独占して、結局は民衆の怒りを抑えきれなくなって革命が起こる。きっかけは何でもいいのかもしれない。民衆の力を侮ってはいけない。国を覆すほどの力があるのだから。国は民衆の叫びに常に耳を傾けておかなければ、革命が起こるかもしれない。どこかの国もそろそろ党内派閥やら権力争奪戦やらを止めて、国民の真の声に耳を傾けるべきだ。今回一時帰国して、出生率低下、学校問題、いじめ、老人問題、私が10年前に日本を出たときから何の進展もないように感じた。加えてこの不況、日本人もいつ切れるか分からない。

 少し前に、次は中国の時代だと書いたが、もしかすると中東イスラムの時代なのかもしれない。昨年、1昨年とアラブ首長国連邦、オマーン、イエメン、エジプト、トルコ、モロッコと中東諸国を旅したが、けっして中東が西欧諸国に比べて劣っているとは感じなかった。むしろ、フランスに入ってから氷点下5℃の路上で物乞いをする若い娘を見て、社会の歪みを感じた。次の時代のリーダーがどこであろうと、一般民が幸せを感じられる世の中を切に願って止まない。(Y)
  


Posted by ASJ青山日本語学校 at 07:39Comments(0)